2007年5月25日金曜日

右が左で左が右で

今日は体調があまり優れません。胸焼けがします。にんにくのお菓子食べすぎ?

今日は人間の脳について。

脳が手足を動かしているの当たり前ですが、実は、「右の手足を左の脳が、左の手足を右の脳が」動かしているのです。脳が左右逆の手足を動かしているのです(完全にではないのですが)。何で逆になってしまったのか?そりゃあ僕にもわかりません。が、脳からの神経は途中で交叉して、左右の手足に行き着くのです。

運動だけではないです。見ている空間も右側は左、左側は右脳が支配しています。

これが脳卒中になり障害されるとどのようになるか?

右側の脳が障害されたとします。場所によりますが、左の手足、体に麻痺が生じます。時には、「左半側無視」という症状も起こります。これは、目から景色としては入ってきているのに、あたかも左は見えていないように行動してしまうことを言います。無視する対象は、空間だったり、自分の手足だったりします。
「左の壁や障害物にぶつかっても全く気にせず動き続ける」
「左から声をかけても右を向く」
「自分お左足を忘れてしまったように足を引きずりながら歩く」
こんな症状が起こるのです。「本当か?」と思う方もいるのではないでしょうか?

右が左で左が右で・・・

2007年5月24日木曜日

人間は脳でものを見る?

今日は仕事が休みなので眼科にいってきました。

最近視力がめっきり落ちてきているのです。眼鏡が欲しい。

結果、眼鏡をつくるギリギリの視力で、作るのは延期に。

ところで、人間は何でものを見ていますか?そりゃあ目でしょう。

完全な正解ではありません。脳と共同で見ていること、ご存知ですか?

眼球から入った情報は、専用の通路を通りながら、脳の後ろの部分、「後頭葉」という部分まで辿り着きます。そこではじめて、「ビジョン」としての絵が構成されるのです。目はあくまでもその情報を伝える、取り入れるための器官といったところでしょうか?間違っていたらごめんなさい。

そのため、脳卒中により、目の情報を伝える部分に障害が起これば、断線し最終的に処理をする脳に情報が届かず、結果として「視野の障害」などが起こってきます。両目とも半分だけが見えなくなったり、症状は断線が起こる場所によって様々です。

このように人間の脳は、目や手足などの外部機関からの情報を取り込み、瞬時に処理をしています。手足からの感覚だって一度脳に運ばれ、処理されることで、はじめて感触として沸き起こるのです。脳の感覚の中枢が破壊されれば、いくら触ってもそれが熱いか・冷たいか、固いか・柔らかいか、はたまた触っていることすらわからなくなるのです。

もちろん脳だけが大切なわけでなく、他の器官もおろそかにしてはいけません。

自分の目は悪くなる一方です。何かいい方法はないでしょうか・・・

2007年5月23日水曜日

人間は失ってはじめて後悔する

脳卒中になった多くの方が言う言葉

「もっと生活に気をつけておけば良かった」
「たばこやめればよかった」
「血圧高いから気をつけてって注意されていたのに・・・」

なってしまってはじめて後悔するのです。病気になる前から、少しは意識しているかもしれません。ただ、意識が行動に移り難いのです。人間は弱いものです。恋人、家族、健康、いつもすぐ傍にある時は当たり前に思っていても、いざ失うと、、、涙、後悔、自責の念。

では何故意識しているのにやめられない、注意して生活できないのでしょう?

「人間の意志はそんなに強くない」
「脳卒中の発症因子となるものは、自覚症状が少ない」

この2点が複雑に絡み合っている、というのが私見です。

煙草は体に悪い、油の摂取過多は体によくない、みんな知っています。しかし、実際に欲望を抑えて行動できる人はいるでしょうか?いるでしょう、立派です。しかし、できない人の方が圧倒的に多いでしょう。食事にしても、おいしいものの方が体に悪いことが多いのです。たーっぷり油ののったお肉、そりゃあうまいです。おいしいほど後がこわい。自分も誘惑に負ける方の人間だと思います。
わかっているのと、実際に行動できることとは同義ではないのです。

そして、自覚症状が少ないことが、上記の行動できないことをさらに加速させます。例えば、風邪を引いて体がつらい場合は、自分から安静にするよう心がけるでしょう。捻挫して足が痛ければ、足を保護するよう意識するようでしょう。

しかし・・・

脳卒中を引き起こしやすい症状として、「高血圧」「動脈硬化」等があります。これらは、例えなったとしても、生活の中で「つらい」と感じる自覚症状がないのです。血圧に関しては、あまりにも高い場合は、頭がボーっとしたりすることもありますが、高めの方はその状態で安定するように体が勝手に適応してしまいます。動脈硬化に関しても、血管が硬くなるからといって体が感じる不快感や痛みは全くないのです。不快に感じるものがなければ、そのままやり過ごしてしまうことが多いのです。

「動脈硬化すすんでいますよ」→「別に体はなんともないけど・・・」

これらの症状は徐々に、しかし確実に体内を静かにむしばみ、突然の「脳卒中発症」という形で人を不幸に陥れます。

怖いですね。

煙草は血管を収縮させ、動脈硬化を促進させます。誰も煙草が体にいいと思って吸っている人は一人もいません。わかっていて吸っているのです。そこには、「自分は大丈夫だろう」という、何の根拠もない漠然とした自信があるのです。文章にすればおかしなことと誰もが思いますが、現実の世界で起こっているのです。別に喫煙自体を猛烈に批判しているわけではありません。たとえです。

脳卒中は自覚症状なく、考える時間を与えず突然やってきます。しかし、その準備は着々と人生の中で進められているのです。

自分も血液検査の結果におびえる年齢になってきました。自分で書いていて、ミイラとりがミイラにならないよう気をつけたいものです。

リハビリの終了っていつなの?

リハビリを終了するのはいつなの?

この問題は非常に難しいです。

基本的に、医療従事者の思考としては、
「患者さんの損傷や後遺症の程度から、医学的にどの程度の改善が見込めるか、またそれに必要な期間はどれくらいか」を考え、それに基づいてリハビリを実施していきます。明確な目標設定と期間がなければ内容やアプローチは曖昧になってしまいます。またそれを示すことが現在は必須の流れとなっています。

しかし患者さん側や家族としての希望はどうでしょうか?
「自分はもっとよくなりたい、元の体と同じようになりたい」
「もっとやってよくなってもらわないと」

この、医療側の「目標」と、患者さん側の「目標・希望」との間の解離が、リハビリの終了を規定していくにあたって困難を来たします。

ここで重要なことは、「患者さんの希望は、医学的観点からみると実現は困難」である場合も多いということです。リハビリは万能ではありません。

ただ、患者さんは、「リハビリ」にすがるしかないのです。それ以外に頼るものがないのです。もちろん自分で頑張る患者さんもいらっしゃいます。

医療従事者として思うことは、「自分達が思う目標や期間」を、患者さんに押し付ける形をとってはいけないと思います。しかし、何でもかんでも患者さんの希望通りに事を運ぶことが、良いことだと思っているわけではありません。

あくまで、お互いの対話と、「歩み寄り」が大事だと思っています。

以前は、後遺症を持った患者さんが、エンドレスでリハビリをする、日常的な風景でした。しかし、現在の医療や行政の流れでは、「意味のないものにお金は使わない」強烈に推し進められています。確かに必要なことかもしれません。

しかし、患者さんとしては、たとえ良くならなくても、「リハビリをしている」という安心感が、心理的な安らぎやゆとりをもたらしていたかもしれません。

そういった数字や結果に残らないものも、大事にしていかなければならないなああ、と思っています。

ただ、リハビリ地獄に陥っているとも考えられます。患者さんがリハビリがなくとも、自信を持って楽しく生活できるよう自分達は援助していかなければならないと考えています。リハビリとは、病院に来て、セラピストの手を借りて行うことだけを意味するのではありません。家族と協力し、また自己努力していくのもリハビリです。

そして、リハビリとは、「再び楽しく生活を送るための手段」だと思います。リハビリのためのリハビリになってはいけないなあと考えています。

リハビリの終了は?
→医学的根拠のもと、達成可能な目標に到達したとき
  患者さんが納得できる説明と援助を医療従事者が十分に行う
  患者さんが前向きに生活を行うことができる

これらを満たしたときかな???自信がないです。

2007年5月21日月曜日

リハビリを受ける期間を決めるのは誰?

リハビリを受ける期間って誰が決めるんでしょう?

・リハビリを受けている本人や家族
・リハビリを行っているセラピスト
・処方している医師

ニュースでは、
リハビリについては、昨年4月の診療報酬改定で心大血管疾患・脳血管疾患等・運動器・呼吸器-という4つの疾患別リハビリ料が導入されるとともに「日数制限」も設定された。これに伴い、心大血管疾患は150日、脳血管疾患等は180日、運動器は150日、呼吸器は90日を超えると、一部の除外規定疾患の患者を除き、原則として医療保険でリハビリを受けられなくなった。 4疾患別のリハビリ料と日数制限について、同省は今年4月に一部「緩和」する措置を取ったものの、リハビリ料の「逓減制」などを制度化。改善が期待できる場合には日数制限を超えてもリハビリを継続できることになったが、診療報酬の「逓減制」が導入されたことで、医療機関にとっては〝再改定〟前よりも低い報酬でリハビリを提供しなければならない場合も出ており、「必要なリハビリを保障するためには、一切の条件をつけず、日数制限を即時に撤廃すべき」と指摘する関係者は多い。

わかりますか、意味が?

リハビリや医療の世界で働いている方なら理解できると思いますが、そうでない方はピンとこない人がほとんどでしょう。

簡単に言うと、
「かかった病気によって、リハビリできる日数は決められてしまっている。一定の日数に達するとリハビリを行っても病院がもらえる報酬は減少し、さらに基準を超えると全くおもらえない。患者さんの後遺症が残っている、リハビリを行う必要がある、本人、家族が今後もリハビリを希望しているに関わらず二数で区切りが設けられている」
ということになるでしょう。

例えばあなたが何かの病気(脳卒中)にかかったとします。一生懸命リハビリをして、何とか自分でできることは増えてきました。しかしまだ体は不自由な部分が多く、もっとリハビリをしたいと考えています。しかしそこでは「日数制限」が絡んできます。
患者:「もっとリハビリさせてもらいたいから入院して頑張りたいです」
病院:「病院にいられるのは○○日以内で、それ以上は無理です。退院してください」
患者:「じゃあこれからリハビリしていくにはどうすればいいんですか?
    これ以上よくならないじゃあないですか?見捨てるんですか?」
病院:「リハビリばかりに心をとらわれず、生活に目を向けてください。
    後遺症は必ず残りますよ」
患者:「これからぞうすればいいんだ・・・」
極端な例ですが、同じような例は自分の病院でも数多くあります。

病院側としては、長く患者さんを入院させればさせるほど、報酬として得られるお金は減少していきます。新しい患者さんを多く入院させ、回転率を高めていくほうが利益が多いのです。国としては、長くリハビリや入院をさせることで医療費の増加を防ぎたいという明確な意図があります。医療費削減の為の一つの方法とされる、介護保険を使用したサービスに流れるのです。しかし、介護保険下でのサービスでは、充実したリハビリを行うのが難しいのが現状です。長期の経過をたどる方は、「国、病院に見捨てられた」と感じる方が多いでしょう。

自分達セラピストも、制度に対する不満は大いにあります。もっとリハビリをすればよくなる患者さんがいても、やむを得ず退院していただくという現象が起きてきます。

ただ、この話題は単純に解決できるものではありません。

一つとして、高齢化社会の進展に伴い、日本の医療費が切迫的事態に陥っていることも重要です。また、以前にも書きましたが、リハビリでは、「元の状態に戻す」ことが必ずしもできないことです。

脳卒中になって、重い麻痺が後遺症として残ったとします。「麻痺が完全に回復するまでリハビリしてほしい」と患者さん本人が思ったとしても、現在の医療・リハビリの技術ではそれは不可能であって、いつまでやっても患者さんの希望をかなえることはできないのです。

リハビリはあたかも、「万能」のように扱われますが、歴史的にみてもまだ浅く、効果や方法論においては不完全な部分が多い分野なのです。

悲観してばかりもいられません。下で働いている自分達にできることは、早期退院を迫られている患者さんに少しでも効果的なリハビリを、多く受けて頂くことです。そのために、「365日リハビリ」や「スタッフ数の確保(多ければ多いほど一人の患者さんに時間を費やすことができます)」など頑張っているのです。

リハビリの日数を決めるのは、、

・国と病院と、スタッフの質、努力、患者さん・家族の努力

ということになるのでしょうか・・・

2007年5月20日日曜日

作業療法士の仕事

作業療法士の仕事、何でしょう?

簡単に言えば、「作業を通して身体・精神に働きかける(リハビリする)」でしょうか。

しかし中身といえばよくわかりにくいですし、実際は違う部分も多々あります。そこで今日は作業療法の中身について書きます。

一言で作業療法といっても、実際に働いている分野によっては大きな?違いがあります。分野としては、

・脳卒中や脊髄損傷などの中枢機能(脳や脊髄)の疾患に対するリハビリ
・骨折や靭帯の損傷など整形外科的な疾患に対するリハビリ
・脳性麻痺などの小児に対するリハビリ
・統合失調症など精神疾患に対するリハビリ

簡単に言ってもこれくらいあります。分野が違えば中身も自ずと異なってきます。全部を説明していると一晩かかってしまいますので、今回は自分が所属している、中枢疾患のリハビリについて説明したいと思います(私見です)。

中枢疾患のリハビリにおける重要な因子として、「必ず後遺症が残る」ということです。例えば右手足が動かなくなったとします。最初は寝返りをすることも難しい患者さんもいらっしゃいます。じゃあ動かないものを動くようにすることがリハビリ?正解であって正解でありません。麻痺の改善に向けて行われるリハビリももちろんあります。それ以上に、「後遺症が残った体でもどのように生活内でできることを増やすか?」が中心となります。
そういった意味で、作業療法士は、応用的動作に関わります。前にも書いたように、理学療法は歩行や立ち上がりなどの基本動作を中心に関わります。

・作業療法士は実際に着替えやトイレ、食事などの動作全般に関わっていきます
・片手しか使えなくても、片手で動作が行えるよう練習・援助していきます
・もし動作が難しい場合、道具の調整をしたり、用具を実際に作ったりします
・一人で行うことが難しい場合、家族に介助の方法や注意点を指導します
・生活が行いやすいよう、自宅の改修について提案します

簡単に言えば、患者さんの自立支援、自宅復帰、家族の負担軽減のために、何でもやります。もちろん他職種の方と協力しながら行われます。この点で言えば他分野の作業療法士の方も同じですがね。実際に作業療法士に必要な知識というと、中枢疾患では・・・

・解剖学
・運動学
・生理学
・作業分析
・運動分析
・触診技術
・改修に関わる住環境に対する知識
・福祉用具の知識
etc・・・・・

結構大変です、勉強するの。国家試験に通っても、いきなり一人前は難しいのです。経験は非常に重要です。作業療法士を目指す方、覚悟しておいてください。

2007年5月18日金曜日

病院に来る人は不幸を抱える・・・

今日の業をなし終えて帰宅o(*・∀・)つ

病院の仕事はストレスが多いと言われます。なんででしょう?

認知面の障害を持った方はコミュニケーションを取るのが難しいから?

医者は小難しい人が多いから?

残業が多くて帰る時間が遅いから?

いろいろですが・・・

基本的に病院に来る人は、不幸を抱えていると言えます。

喜んで病院に行く人はいないですよね。

特に後遺症を残す脳卒中の患者さんは、大きな不安と不幸を抱えます。

そういった場合、接する側としても、ストレスは大きくなります。

結婚式のプランナーさん、来るお客様はみんな幸せいっぱいです。自然と笑顔で仕事できるでしょう。病院は笑顔いっぱいで来る人は少ないです。

皆さん多くの苦労や心理的・身体的な苦痛を抱えています。

ただ、そんな患者さんに少しでも希望の火を与えるセラピストになりたい、という思い。

退院した患者さんが、いくつもの苦難を乗り越え、大きく成長し、笑顔で挨拶に来てくれる

・・・・・・・フッカツダー!!(゚∀゚ )三

そんな出来事が自分を支え、成長させてくれます。